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体調改善をめざしてつれづれ。

2011年03月06日 23:29

思ったよりも間があいてしまいました。

台湾旅行+異次弦ライブの怒濤の一月であがり気味だったと思ったら、二月はその反動がきたように不調気味でした。まぁ忙しかったというのもあるのですが。
やはり季節の変わり目というのもあるのかもしれません。

先日はじめて整体+鍼灸にいってきました。
みるなり右足首がひねられててそこから身体全体に負荷がかかってるといわれました。
うつ以来、肌が老化しているのが気になり、昨年末の健康診断では鉄分不足が深刻で、このままでは手術時に輸血が必要なレベルだといわれプラスねつきがわるく肩こりがひどい、と全体的に血行不良なので、これはマッサージとかその場限りの手当ではイカンとおもいはじめて、身体の根っこからの治療をもとめて行ってみた次第です。

そこは「こころとからだの総体的な治療」をかかげていて、東洋医療やヒーリングなどもとりいれているようです。
とにかく内蔵とおなかまわりが冷えていて「こんなに冷えていてかわいそうに。知らない間に自分をいためつけていたんだね」といわれて、なんかじんわりしました。
なんせ20年ちかくの肩こりなのでその日すぐには消えないのでどうなんだろうと思いつつ、身体のことや姿勢のことにかなり意識的になったので(私はその右足をかばうように無意識的にななめに立っていることに気がつきました)もう少し続けてみようと思います。
保健がきかないので高いのですけど…。

あと食にも気をつけようと思い、玄米をはじめています。
白米にまぜてたべてます。早炊きできる無洗米のでもそれなりに手間はかかりますが、おいしい!
そして今日はひじきの煮物を。
だしとった昆布をいれてもおいしかった。昆布ってすごいなぁ。
いつもは疲れて料理するになれないけどせめて休日くらいはしっかり手間かけたいなと思います。
もずくって今日はじめて買ってたべたけどめちゃうまいのね~
もっといろんな食材ためしてみたいなぁ。納豆も匂いにまけてないで食べてみようかな~。

鍼灸も食事療法?もすぐには効果がでなくても、続けていくことでかわっていくといいなと思います。
思えばうつの治療だってすぐには効果でなかったもんなー

そして、今日は久しぶりにお山にお参りしました。
歩いて10分の距離なのに今年しっかり上るのははじめてでした。
「パワースポット」とか「スピリチュアル」とかそんなはやりのことばでまとめてしまうとなんか違う、と思うのですが、「パワースポット」とは「パワーを与えてくれる場所というよりは、本来の自分に還る場所だ」という定義に非常になっとくしました。
原点にかえるというか、日常生活や仕事や人間関係で失われたエネルギーを充填して自分にもどれる、そんな感じです。
曇りで雨が降っていたけど、静かな山の中で梅がひっそりとけれども華々しく咲いているのもみれてよかったです。
やっぱりもっとこういう時間をとろう!!


最近余裕がでてきたのか仕事に物足りなさをおぼえてます。
工場バイトの次のリハビリのステップで選んだ仕事だからなぁ。でもすっごいリハビリになってます。
なんか普通に働けて、それなりに人間関係もこなせているし。。
その余裕のためか五年ほどいてはじめてすごい引っ越し熱がでてます。

また明日からゆるっとガンバロー

不調とことば

2011年02月14日 23:31

すこしご無沙汰しています。

三連休はそれなりに調子よくすごせたのですが(月のリズムの座談会、大変興味深くておもしろかったです。また後日でも改めて書きたいです)どうも1月末から不調をひきずっている感じです。

一つの仕事の繁忙期のピークがすぎて、また別の仕事が忙しくなり、残業も多くなっています。
前の内容は主に自分一人でスケジュール管理して進められたのですが、今の仕事は先輩と組んですすめているのでいろいろきをつかって(二人とも男性なんですけど、一人はわりとわがままタイプでもう一人は仕事が少し?アレで妙な自己主張が多くて気遣れするタイプ)なので、気づかれをしています。

一日中パソコンに向かって細かい作業をするので、目と肩に疲労集中。
肉体的疲労が精神的疲労におよび、以前あった前向きな気持ちや、アンテナが鈍ってきている気がします。
ささいなことで気分がめいったり、イライラしてまわりにも迷惑をかけてさらに落ち込むという悪循環です。

これはうつ前の私とおなんじじゃないかー!
基本性格の一つなんですね・汗
せっかくちょっと前進したと思ったのに。。


最近は呼吸と、自分が口にだす言葉を気をつけようと思っています。
深呼吸、深呼吸…。
悪い気をはいて、新しいエネルギーを取り入れるのが呼吸の重要性だとか。

「口に出す言葉が大事」と言われるように、ネガティブな口癖や、仕事以外の自然にやっている自分の口調にもっと意識的になろうとこころがけています。

「そば屋さんで今日は天ぷらうどんを食べるぞ、と思っていても、実際に「鍋焼きうどん」といったら鍋焼きがででてくる。思っていることよりも口に出していることの方が大事」
と日本のお金持ちの一人、斉藤一人さんとゆー人がいっていたそうでなるほどなぁと。
いくら百考えていても、一度に口にだせるほんのわずかの単語だけが相手に届くのだなぁと思うと。
しかもそれをはっきり、明確に、気持ちよく伝えるってこれはなかなかむつかしいなぁ、と。

そんなこんなで、以前から気になっていた『なぜあの人の話し方は「強くて美しい」のか?』という本をブックオフで購入しました。
「私たちの周囲にはたくさんの人がいて、それぞれ勝手なことを言っています。
スーパーでほしくない品物でもたくさん目に入ってくるように、毎日の生活では聴きたくないたくさんの言葉が耳にはいってくるのです。
それらすべてを気にしていたら大変です。聞きたいこと、聞いて役に立つことはこころにいれて、聞きたくないことは聞き流しておきましょう

という文章があってハッとしました。
私は、聞こえてくる言葉を、ほとんど自分の心にいれていました。
職場でも、こころが過敏になっているときなどはちょっとしたことで、「自分のことではないか」となったり、またいらだって過剰に反応していました。
(小さな会社なので、周りの会話に耳をすますことで、全体の雰囲気や流れがわかることもあるので有意義なときもあるのですが)

「相手の言葉を聞き流すことで、人間関係が円滑になることもある。それがコミュニケーションの面白いところ」
なるほど~。

どうもバカ正直というか、なんでも水を飲むみたいに、こころのなかにいれてしまうようです。
ことばをこころにいれて、勝手に傷ついたり、批判したりしてる。
それじゃあ、疲れるわけですよね。

表でみせている顔=言葉と、なかで思っているこころが、一致しないみたいなのがどうもなんというか、好きじゃないんです。
こどもみたいで恥ずかしいですけど・笑
特に信頼する人とは腹蔵なく話したい、いつでも「素」の間柄でいたい、という理想が根底にあるようです。
でもそれだけじゃだめなんだな~。
なんか誠実じゃない気がするけど、でもなんでもこころにいれてイライラされるくらいなら、むこうだって聞き流されて人間関係スムーズに行く方が結果論的にはいいですよね。

そういえば職場のすてきな先輩も、結構話し聞いてないときあるし・爆
聞き流す技術、じゃないけど、聞こえてくる音/言葉をこころを選択する工夫みたいなのがいるんだなぁ。

同じ本から、「うまく聞き流すコツ」として、
「それは聞きたくない言葉について、自分の意見を主張したり、反論するのをさけることです。「私は」で答えないことです」


誠実かつ、まわりも自分も不快にしないような人間関係をめざしたい。

ところで、仕事できないクンが、やたらほめてほめて!「みせてあげる」とか、過去の仕事の自慢話攻撃(本人攻撃の自覚ナシ)をしてくるのですが、それにどうしても「すごいね~」って言えないんです。
それだけいってあげればいいのだろうけど(あ、上から目線!)嘘はつけない。。
しかしあれだけ周りの人にスルーされてるのだからいい加減気づいてほしいのだが。


この不調が、まさか1月23日に減薬したのが、原因じゃない、と思いたい!
どこかで減薬するのだし、ここを乗り越えたい。


ゼイタクな話なだけれども、仕事内容がマンネリな気もあってさらに落ち込み気味かもしれません(基本作業部分は多い)。
でももとから、工場バイトの次のリハビリステップというスタンスから探したから、当初はそのマンネリ感がリハビリにぴったりだったんです。
私に意欲がでてきたのかな。


七十二候は、黄鶯睍(うぐいすなく)を過ぎて、魚上氷(うおこおりをいずる)にはいりました。
こないだ糺の森でうぐいす?あるいはメジロを見ました。
雪がまたふって寒いですが、確実に春は近づいている気がします。

糺の森/こんにちはラリマーさん。

2011年01月30日 23:03

本来はひとつづきの記事だったのですが、あまりに内容にへだたりがあるので分けました。

今日はひときわ寒さ厳しかったです。
そんなくそ寒いなか、40分くらいチャリこいで、京都の北辺糺の森まで行ってきました。

寒いようなので今日はやめておこうと思っていたのですが、外にでたら風があんまりふいてなくて、体感温度が思っていたよりもましだったのです。
201101301555000.jpg
鴨川をずーっと北上していきました。
北の山には雪が。そして遠くの山肌には陽がさしています。

糺の森は平安以前、京都がまだ山背国とよばれていた時代の植生をのこす原生林です。
前回の記事にある『平安京 音の宇宙』を読んで、いってみたいなぁと思っていました。京都の南の方にある私の家から、北の方にある下鴨神社までチャリでこのくらいの時間でいけるものなんだなぁと、あらためて京都はこじんまりとした街なんだなぁ、と思いました。
行ってみると、一番はじめに勤めた会社の激近でびっくりしました。。
うわ~もっといっておけばよかったなぁ。

だいぶ昔、まだ大学生だったころ、初夏の季節に森林浴にきて以来であります。
高野川と賀茂川がY字に合流する地点にあり、そこから下鴨神社の参道として、北に700mほどつづきます。
世界遺産だそうで。。住んでるくせに知りませんでした。
真冬なので、落葉広葉樹林の多い境内は冬枯れの寂しい様相です。
しかし耳をすまして、こころ静かにあるけば、上空で風の巻く音、葉が風に揺らぐ音、足が葉を踏む音、鳥の声と、静かな音たちが一気に聞こえてきます。
森の中にはたくさんの小川が流れていて、そこに白鷺が飛来してきたりします。鳥が枯れ葉を踏む音、なんてのも聞こえてきて、普段は車や雑踏の音で消されている音に敏感になります。
寒さのわりには散策されている方も結構いて、思ったよりも人が多かったです。

本殿の奥、神紋であるフタバアオイの行灯が暗がりのなかにずらりとさがり、さらにおくに御簾がひっそりとただずむ様は鳥肌がたつようでした。

参道と森林は縄でくぎられているのですが、一部遊林になっていて、そこで大きなムクノキや、若いカシやイロハモミジたちにちょっと触れされてもらいました。
201101301651000.jpg
巨大なムクノキさん。

枯れている姿だけでは見分けがつかない初心者な私ですが、木の一本一本に小さな白い布がまいてあって、そこに番号と名前が手書きで書いてあるので、初心者にも親切な感じです。
散歩草木図鑑みたいなのほしいな。

『音の宇宙』を読んでいて、また伊藤計劃『虐殺器官』に「耳にはまぶたがない。音はふせげない」というくだりがあって、あらためて自分の音環境というものに興味がわきました。
今自分が住んでいるのは車通りも少なく、さらに奥に入っているので、夜は本当に静かです。
街とかあんまりに騒音のするところはやはりあまり好きではありません。うつになって聴覚が鋭敏になったときからテレビの音もあまり好きではなくなりました。
というか、視覚と同じように、それはあくまで自分が「どの音を選択して聴いているか」ということなのかもしれません。
街をあるけば看板やディスプレイ、ポスターや標識などのあふれる言語情報の中から、自分に必要な、あるいは自分の見たい情報のみに無意識に選んでいます。それはなかば慣れとなって、新しいものにはなかなか気づきにくくなっているともいえるかもしれません。
ヒラサワの音楽だって、他の人からすればうるさいと感じる人だっているでしょうし。

話がずれましたが、会社の環境というのも、そこでどんな音が鳴っているか、どんな会話がかわされているか、というのも重要かなと思いました。
音は空気の振動であり、その振動は、純粋な「ことば」意外の気分や、感情の波動といったものも伝えてくるでしょうから。

帰りに、昨日知り合いの、同じ病気をされていて、今はフラワーエッセンスのプラクティショナーをされている方がブログで紹介されていたヒーリングショップが帰り道にあったので、立ち寄ってみました。
あんまり興味のなかったころは正直「ヒーリング」とかうさんくさい、とか思ってました。
まぁ名称はなんだっていいわけですよ。
小さなお店だったのですが、たまたまみた「ラリマー」という石に惹かれて、買ってしまいました。
「深い智慧との出会い、思考と感情とのバランス、創造的イメージ」とあって、「思考と感情のバランス」というのがああ、まさにそれ!という感じだったので。。水色の、きれいな石です。
家に帰って調べてみたら、世界三大ヒーリングストーンとか。
ラリマーという名前も全然知らなかったのですが、え、実は結構すごい石?という感じです。

ペクトライトという鉱石の、青いものをラリマーというのだとか。名前に、ラリマーの語源は発見者の一人であるドミニカ人ミゲル氏の娘「ラリッサ」と、海を表わすスペイン語「マール」の組み合わせである。とあって、やはり海とか水なのか~なんて。
ネットでみてると加工されてるのは相当にいい値段してますが、私が買ったのはちっこい丸玉でして。
ネックレスにしたいんだけどな~。売ってたのは高かった上にデザインが気に入らなかったので。。
二個だけ残ってて、ころんと手に乗せてどっちがいいかな?と自分に聴いてみたら左!と即答でした。

なんだかうれしいな~。
土曜も仕事で、日曜なんてまったくでかける気力がなかったのに、こうしてでかけられるようになったことを、素直にうれしく思います。
普段デスクワークだから運動したい!と思うのか、チャリとか乗りたくなるのです。

伊藤計劃『虐殺器官』

2011年01月30日 22:54

さて、伊藤計劃『虐殺器官』、読了しました。

すごかった。ツイッターで早川書房さんをフォローしてるんが、そこでちらちらでてて、書店でもみかけていて気になっていたのですが。

グロ指向のようなタイトルに、「大型本格新人作家」みたいな常套句に、どうだろな~なんて思ってました、すいません。やっぱり偏見とか思い込みってイケナイね!!

オーウェルの「1984」みたいな感じの本が読みたい、と思っていた私にぴったりでした。

SFで、確かに近未来ですが、かぎりなく現実に近いです。SFが苦手な人にも読んでほしい。
戦場こそが最先端のテクノロジーが花開く場所だと考えれば、この一部は実現してても不思議ではない気が。

9.11以降の、先進国では情報管理が徹底しつつあるなか、先進国への巨大なテロが減っているなか、後進諸国では内戦が激増しつつあった。
管理されることで「自由」が保証されるなか、自由とは何か、自分とはどこからどこまでか、意識とは無意識を規定するものとは―。

201101302227000.jpg

衝撃なのは、この作者が、このデビュー作から2年未満で作者がガンでなくなっていることです。
闘病し、会社に通いながらこんな作品がかけるのか、と。
長編二作目にして遺作となった『ハーモニー』も読んでみたくなりました。

以下、重い話なので追記にします
[伊藤計劃『虐殺器官』]の続きを読む

『平安京 音の宇宙ーサウンドスケープへの旅』/『ポトスライムの舟』

2011年01月23日 01:40

ごぶさたをしています。

東京へ、異次元へ移行するような旅をおえて、何かがかわったような気持ちで、また日常に帰還しています。
今日は通院と歯医者がありました。
病院は予約制ではないのでいつも混んでいて、最近ずっと時間がなくてお薬のみにしていたのですが、今日は減薬の相談をすることになっていました。
歯医者さんとの距離を考えるとお茶はむつかしいかな、と思っていたのですが、幸運なことにとても空いて、一時間くらいの待ち時間で終了でした。
トレドミンが一日3錠から2錠に減りました。
デパスは様子見です。レンドルミンはなかなかむつかしいかも。

たくさん空き時間ができたので、府立図書館に寄ることができました。
先日読んだ吉本ばななさんの本とか借りようかな、と思っていたのですが貸し出し中のようで一冊もありませんでした(そもそも府立は研究書が多く一般書が少ないのです)。
しかし入り口付近に「松岡正剛の大路小路」と題して、京都にちなんだ書物が移動式ラックにおかれてました。

そこで見つけたのが『平安京 音の宇宙』平凡社ライブラリーという本。
そしてあと数冊借りて、まだ時間があったので好日居さんへ。今日は中庭に面した、石づくりの床に絨毯にちゃぶ台のスペースに。めずらしくわりとにぎやかめに話してはるお客さんがいたので、ヒラサワで話し声をシャットダウンして(いろんな音が鳴ってるから環境音が聞こえなくなるのです)本とお茶に没頭。

『平安京 音の宇宙』は、ニューヨークのマンハッタンの高層建築群のまっただ中にある小さなナラ林からはじまる。それは、15世紀のアメリカの植生を再現した、アラン・ゾンフィストという人の『タイム・ランドスケープ』という「作品」なのである。
ビルと現代と、500年前の自然が時を越えて重なりあう。そこから、1000年前の古都京都の原風景をたずねて、まずは糺の森からはいってゆく。
その昔この地は、じめじめした暗い森、というよりも照葉樹林と竹類メインの明るい森に覆われていたらしい。
北方に玄武、東方に青龍、南方に朱雀、西方に白虎という四神相応の思想にもとづいてつくられた都市ですが、そこには陰陽五行にもとづく音の思想もあるのだとか。
北は盤渉調(ばんしきちょう/491.5hz)、東は双調(そうじょう/391.5hz)、南は黄鐘調(おうしきちょう/437hz)、西は平調(ひょうじょう/326.2hz)というらしい。
完全に一致するわけではないですが、なんとお寺の鐘というのは、各々調律してあるというのです!
みんな一緒だと思ってた…。
たとえば大原の勝林院は平安期の鋳造で、阿弥陀如来に回向するの鐘は「平調」で、秋の物悲しい音。対して来迎院の鐘(1435年鋳造)は「双調」で薬師如来に祈願するその音は、若葉のもえいずる春のよろこびなのだとか。
なんて細やかな音世界なんだろう。

文はガムランの音世界からインドネシアの二元論にもとづく宇宙論におよび、また日本にもどって当時の文学(『平家物語』や『源氏物語』など)から音によるコスモロジー、宇宙観をさぐっていく。
音にはカタチがないから、簡単に時空を形成する。
1000年前の微細でこまやかな音世界と、いまが重なるような興奮をあじわいました。
第一章「音のコスモス」は、文末で現代のサウンド・インスタレーションにもおよび、
「中世の梵鐘の設置と現代のサウンド・インスタレーションは、その背景や意味において決して同一の地平線上にならぶものではないが、後者によって前者を語る意義があるとすれば、平安京の音プランを、単に五行思想の制度化あるいは現実化としてではなく、音のできごと(イヴェント)の創出としてとらえる視点をもらたすことにある。
それは皮膚とか鼓膜とかいう、知覚の表層の次元でコスモスをとらえる方法である。
理念は現象し、音は人間とコスモスの関係を調整する媒介となる」

まだ三章目ですがこれは面白いな…!
もっと静寂に耳をすませて、感覚をとぎすませて生きてゆきたい、聴覚という感覚を深めていきたいと思いました。

そんなすてきな空間を提供してくださった好日居さんに感謝なのです。
帰り際に声をかけていただいのをこれ幸いと、「月の満ち欠け、月のリズムと暮らすヒント」という談話会に申し込ませていただきました。
申込書リストに青森とか沖縄という住所がみえたのですが、すごい、そんな遠くからきはる人が・・!とびっくりしました。うーんやっぱりその後の談話会にも参加してみようかな~お一人の人いるかしら。

歯医者は無事に義歯をいれてきちんと六回で終了しました。
でもなんか違和感があって固いものを食べると痛いのが少し心配(この違和感は数日すればとれるとのこと)です。
長かった!!終わって本当にほっとしました。

家に帰ってから別の本、たまたま図書館にあった津村記久子さんの『ポトスライムの舟』を一気に読了しました。
これ確かなにか賞をとっていてその紹介が印象にのこっていたので。(+そのときちょうどipodでP-modelの「Fune」がピタッと狙いすましたようにかかっていて、待合室でも『虚無の舟』をよんでいて「舟」が気になってたこともあって)
二編はいってるのですが、これはなんかもうまさに数年前の自分のような「うつ症状」の話でもありました。
真面目で、「生きること」や「快」や「楽」に不器用で休むことをしらず、不安という漠然とした強迫観念にとりつかれていて。
小説の女性は30代手前で私よりも若いですが、「仕事/結婚」という不安定な感覚など当時私が抱いていた思いに迫るものがありました。
読み終わったあと、小説の内容というよりも、ほんの一、二年前の自分の現実感、そしてそれとの距離、今苦しんでいる人、そんな気持ちに対して涙がでました。
今の会社はほんと女性運にめぐまれていると思います。

自分の生活を維持するために、時間を売ってささやかなお金をかせぐことへの疲れや不満や、願望。
生活を維持をする、でもなんのために?と主人公はといかけるのです。

主人公に何らかのモチベーションを与えた世界一周のポスターの隣に張られた、軽うつ症状のポスター。
これはひとつの時代の小説なのでしょうね。

自分のささやかな生活に小さなたくさんの望み、漠然とした理想に不安。
幸せのカタチやらステータスやらそんなものを求めて漠然と舟はただよいます。


その舟が無人なら、と荘子は言う。
「もしあなたが自分の舟を空にできたら
世間の川をわたっていくとき
誰も
あなたに歯向かいはしない
誰も
あなたを傷つけようとはしない」
(『虚無の舟』)

そもそもめんどくさい自己、エゴが不在なら、傷つかない。
自尊心がなければ屈辱もない。
だけどその「道」のなんとむつかしいことでしょうか。
それはまさに何千年もかかって、瞑想や修行の元におびただしい人々がこころみようとした境地ではないだろうか。


けれども知り合いのフラワーエッセンスのセラピストさんがブログにこう書いていました(彼女もうつ経験者なのです)。
太陽の光を反射しているだけなのに、月はあんなに美しい。
そんな風に人も、
「自分で光り輝こうと必死に努力しなくても
力を抜いてあるがままでいれば
自然と光り輝くのかもしれませんね」


空にすれば、音がより響く。
空間が自由になれば、遊びがうまれてさらに自由がうまれる。
もっと今あるものに耳をすませて、そこからくみだせるものを探ってみたいです。
そうして新しいものや、未知のものをキャッチできるようにしておきたいものです。

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(2004/07)
中川 真

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