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わをえがく

2010年03月28日 22:26

先週は雨つづきで、気がめいりました。
コンタクトレンズも新調でき、すっきりしました。
自分の仕事にたいして(正確にいえばデザインしたものに対して)あしざまに言われていたことを聴いてしまったことがメインの落ち込みの原因でした。
あと年度末ということで、天気もわるくていそがしくて会社全体の雰囲気がよくなかったことも影響していたとも思います。

おかげさまで無事にあがれましたが、比較的安定していたと思っていた自分の土台が、いろいろ重なったとはいえやはり脆弱であるなぁと思いました。
とはいえどうしたもんですかなぁ。
かなり自分のきつい部分を隠して大人しく真面目に余計なこといわず粛々と仕事をし(でも言うべきときは言う)、ときどき交流もしているのですが、ふと思えば男性からの当たりがきつい時があるような??
自分が男性受けしないタイプであることは百も承知ですが…(いわゆるかわいげのないタイプなのだろうかなと)。
だからといって自分がしんどくなるほどキャラつくるのは本末転倒ですし、いわゆる「媚」うるくらいなら嫌われた方がましとか思ってるからいけないのかな…?
「こび」にならずに、自然に気持ちよく接することができるのは何か無意識的なものゆえなのか、などと実は結構悩みは深いです。
ナチュラルキャラの人がすこしうらやましい今日このごろであります。


来週は月初めの6連続勤務がまっているので、なるべく仕事のことから離れて考えないようにして、この2日間は沈静と充電にあてました。
おまけに月の訪問者まできて、私は身体的な影響が大きくでる(ひどい時はねむれないくらい痛い、食欲がなくなるなど)ため安静にしていました。
で何をしてたというと昼まで寝て、昨日なんてひたすら師匠の動画みたり音楽聴いたりとか…w
現実逃避ともいいます。

今日はすこし楽になったので、町中までチャリで買い出しかねてでかけてきました。

雨の予報でしたが、この時期の鴨川は最高に気持ちいいので、あえて自転車で。
場所によってはもう八分咲きでした…!
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まだ三月なのに、いくらなんでもなんだかちょっと早すぎるような気もします。
今週末が見頃だと思いますが、今週は土曜も出勤なうえに、終わった後会社で花見があります。
…本音をいえば帰って休みたいであります!!
でもまぁ最初は社員旅行だっとことを思えば御の字であります。
気をつかいますから…。


11月から派遣として社会復帰しまして、そして3ヶ月はアルバイトという立場でした。
そして次の月から正社員になります。この不景気にありがたいことだと思います。
会社用のペルソナを準備して、無理ない程度に粛々と働こうと思います。

こころの弱っているときなどは、昔のいい時期をつい回想してしまうことがありますが、その時期がまるまるよかったわけではなく、その時期のある部分だけがよかったのではないか、と思いなおりしたりしています。その時期にはその時期の不満もあったものです。
一つみたされれば、もっと別の何かの不足が気になるわけですね。

恋愛でもそうですが、わるい時期には、一番いい時期に戻ろう、いい状態を取り戻そうという意志がはたらくのだと思います。
これはとても自然なことだと思います。
レイモンド・チャンドラーの小説(たしか『ロング・グッドバイ』村上春樹訳だったと思います)に、そんな話がありまして、そのあたりを実に切々と、情景と解け合うような見事な文体で描き出していたと思います。
けれどもけして完全なかたちでは元に戻らないというのが、なんともたまらなく切ないのです。


♪あきらめにいこう 

なんていう歌詞が浮かんだりして(『サイボーグ』P-MODEL)。
あらためてすごい歌詞だと思ったり。 


ようやく『ツァラツゥストラはこう言った』をひとまず通読しました。
解説にあった(ニーチェはショーペンハウアーの弟子であり、そのペシミズムが根底にあるとして、)
「ひたすら生きる事を願うのは、世界と人生の根底に、仏教徒が煩悩と呼ぶようなひとつの執念、意志(心理学的でなく形而上学的な)があって、(中略)この根源意志は決して満たされることのない欲望であり、宇宙と人生はいわば永遠の欲求不満にうずいているわけである」
などとありまして、なるほどなぁなどと思う訳です。
んじゃその意志からはどうしたら逃れられるのかというと、師匠と弟子で異なってくるのですけれども。
まだまだ全然理解したわけじゃないんですけど、西洋的な個の尊重と東洋的集団主義の背景の違いなど気になったことをまたかいてみたいと思います。


永劫回帰ではないけど、時間はまっすぐではなく、円環ではないかと思ってみたり。
人間は老いてまた子どものようになるといいますし。人生というのもひとつの閉ざされた円環なのかもしれません。
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