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初夢、ならぬ昨年末の夢など

2011年01月03日 23:29

正月休みも今日までで、明日から出勤です。
29日はちょこっとでてたためかなんだかあっという間でした。
今日はお年始のお誘いもありがたくもあったのですがお断りして、年末できなかった大掃除を!
主に台所とお風呂場を。
普段掃除ないガスレンジの裏まで磨きましたが、こうして掃除しはじめると、1Kの部屋でもめっちゃ時間がかかってしまいます。母は偉し。。

お休みの目標は「とにかくゆっくりする」、と「じっくり読書する」でした。
いろんな本を気分で読みながら、ユングの元型論は2章まで読み終わりました。この本すごいなぁ。
集中力を要するのでなかなか一気に読めませんが。。

初夢は覚えてないのですが、30日あたりに見た夢がまたヘンな感じでした。
(以下夢メモ)
イタリアあたりにステイしているあるいは一時的に住んでいる。
その家には女の子とお父さんとお母さんが住んでいる。木造のちょっと年代を感じさせるすてきな家だ。
女の子は小さな木彫りに彩色した人形やガラスの人形を作るのが好き。
その街ではかなり小さな子どもたちや少年少女が街角でダンスやパフォーマンスを披露したり、そうした人形を売ったりしている(現代ではない?)。
その家の一室(屋根裏のような、屋根が傾斜していて、窓が多く陽がたくさんさしこむところ)でパーティをする。その家の父親は不在のようだ。
パーティのあと、なぜか忘れ物で小銭や人形がたくさん残されていて、そうしたものを寄付する場所が街にあるので寄付をする。人形はすきなものをもらう。
冷蔵庫にいれておいたビールがなくなっているのに気づく。

戦争が終わりに近づき、身が危ないというので、その子のお母さんが大事にしていたメダカや小さな魚を預かって地下にある車に乗り込む。
街角で行われていたパフォーマンスは、戦争がすすむにつれて狂信的なものになっていく(旗を振っていたり)。
車で移動してなぜかセルビアに到着する。
予定の場所には着けず、知らない路地で散開する。ここでも状況は重くて緊迫している。
預かったメダカのことが気になっていたら、地元の女の子からガラスの器をもらってそれに魚をうつして安心するが、ほとんど死んでしまっている。
けれども小さなメダカ数匹とおたまじゃくしが無事でほっとする。その中にユーモラスな眼の大きな魚がいるが自分の内蔵?をだして他の魚を捕獲したりするのできもちわるいので、かわいそうだけど近くの溝に放す。ガラスの水槽にはちっちゃなアノマロカリスみたいなのがへばりついている。
側溝に眼をやると、キレイな水でメダカやグッピーやうさぎ(?)が泳いでいる。
「こんなにたくさんいるんや」と言ったら母に「今さらこんな時に何言ってるの」と言われる。


…泳ぐうさぎ?それはうさぎ年だから??
以前にそらまめさんにご指摘いただきましたが、やっぱり水がでてきますね。。
「きもちわるいけどユーモラスな魚?」はなんとなくドラクエのメーダとかドロルとかそんな感じに近です。って通じるかな??
今調べてみたら魚の夢は「自己(セルフ)」を表していますとありました。
水に魚に女の子、と気になる夢です。

戦争(日常・社会的喧噪をより感じる状況=うつ発症前)から逃げてきて、さして状況はかわらないけど、私のこころが今は平穏を感じることができる、ということなのかなとおもってみたり。
パフォーマンスする女の子たちは、デザイン・広告業界なのかもとおもいました。
知人とすこしメールのやりとりをしてまして、私の本質がやっぱり広告業界には向かないな、とおもったのです。おもえばそもそも流行には興味がわかず、アップトゥデートで現在の流行を追ったりするのがしんどく感じるのです。
中世でいえば写本室でこつこつ写本とかしてるのが性に合いそう~
でも安全なお部屋にこもってばかりではアタマでっかちになり、現実の社会の折り合いの「すべ」を忘れてしまいそうになります。

(セルビアといえば、もう10年以上前になりますが、セルビア(当時はユーゴスラヴィア)にいったのも、本での知識ではなくて実際に足でいって、報道されない現地をみたかったというのがありました。)

今年は、この本などで得た知識をどう現実に応用していくか、という点を実生活で実践しつつ、現実の社会との折り合いなど、自己を「統合」していくことも一つのポイントになるかなとおもいます。


明日から仕事で、なんと週末にはいきなり社員旅行が…。
しかもタイペイです。ありがたいことなのですが、二泊三日で会社の人と行動するのは不安というか一人の時間が確保できるか…。寝る前にわりと大量の薬をどうやって飲もうか~とか変な不安が。
フリータイムもあんまりなくて、免税店とかたっぷりまわらされそうなスケジュールです。とりあえず本場?の小龍包食べてきます。

そして来週は待ちに待ったライブが!!
咳がまだとまらないのが気になりますが…体調第一で!
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12月4日夢メモ:水色の猫/森の中の大学寮

2010年12月05日 22:04

長くなったので別記事で。

12月4日の夢メモ:
二度寝して大方わすれてしまったのだけれども、アメリカンショートヘアーに模様の似た、けれども銀色に近いような水色のとても美しい猫がでてきました。
彼女と一緒にくらすことができてうれしいのだけれども、なにかでしばしはなればなれになって別の猫と暮らすことになるのです。

その後、何か(思い出せない)を探して山の中を歩いていて、ふしぎな木造の家にすむおばあさんにあいます。一階がきれいな川の水をとおした水場になっていて、そこで炊事をおこなうのです。
私はそこに感銘をうけつつも去り、山の中をあるきつづけていると、今度はすてきな工事中の木造のアパートをみつけます。でもそこは大学の寮で、私ははいれないのでした。
それでもあるきつづけます。


猫はよくわからないですが。やっぱり女性性関係なのかしら。
森の中の大学寮は前にも草原の廃墟の大学関係施設がでてきたけど、今よんでるソローの『森の生活』の影響なんだろうなぁ。最近こーゆー本をよみながら、森の中で隠棲生活がおくりたくてたまらないのです(笑)


とかいってるうちに12月!!
年があけたら師匠のライブなのですー!!

浅い眠りの夢断片

2010年11月25日 22:45

最近仕事がたてこんでいて、咳もとまらず、23日の祝日も出勤してました。
気がつけば「疲れた…」が口ぐせになってる。いけませんね。。

昨日はよく眠れなくて浅い眠りで夢ばかりみてたようです。
印象に残ったシーンしかおぼえてないんですけど。

○11月25日の夢断片
どこかで一人暮らしをしている。三階くらいのアパート?でも今よりも広い場所。
玄関が開放的ですこし不用心だけど、風がとおってきもちいいし、なかにも扉があるから安心だとおもっている。
(昔すんでいた会社の社宅に似てる。洗濯物とかがある)

同じ夢なのかわからないけど、ある集団にいて、その中で異分子狩りがはじまる。人間ではなくアンドロイド?のような存在で、母体以外の亜種(T-a1とかそんな感じ)は狩られてしまうが(すべて女性形)すべての個体の母体である「母体T」を殺さなければならないらしい。
彼女は普通の少女で、われわれの集団にすでにとけ込んでいて、その流れに非常な罪悪感と危機感を感じる。



これは…なんだろう、SF小説の読み過ぎですか、という。
でもこれもたぶん自分のなかの母性や女性の原型(アニマ)に関する何か、なんだろうな、と思います。
しかし「T」って何だろう? まさかターミーネーター??笑
おぼえてれば小説のような話だったのに~。


最近疲れてぼんやりしているせいか、「無意識からのささやき」のような、ふっとした思いつきにしたがうと結構いいような気がしています。
今日は眠りが浅く、疲れていて会社に行くのがつらく、そんな自分をはげまそうと鼻先ニンジン方式で、いきしに駅前の地下アーケードの本屋さんによったのですが、ちょうど10倍ポイントデーであることにきづき、そこからふだんつかわない出口をつかってでると、某巨大コーヒーチェーン店が、カップと袋入りコーヒー(二回分)&シュガー・ミルク付きでコーヒーをくばっているところに運良く遭遇。
ありがたく頂戴し、先輩にいっこあげてお昼後のコーヒータイムに。
帰りには本に閉店間際にかけこんで、セーフでした。
以前よんでた全然違う種類の本に名前がでてきてて気になっていた作家の本を手に取り、たまたまあけた1ページがどきりとする内容だったので即買い。
ソローの『森の生活(ウォールデン)』にチャレンジです。むつかしそうだけど、今の自分がもとめている「感じ」になんとなくあってるような気がします。


さ、今日は体からの声に耳をかたむけて早く寝よう…
疲れていると無駄にイライラしたりしていけませぬ。。
もっと自分や他人に寛容な人間になりたいよ~


* * * * * * 追記
Tがずっと気になってて、最近きになっている単語をしらべてみたのですがどれも該当せず。
ですが今朝電車のってると、ふっと「Terra」ってラテン語で大地のことじゃない?と。
(むかし気になる単語をラテン語でしらべたことがありまして)
それは地球の「テラ」にも通じるのですけど…
現代の失われていく「大地母神」、あるいはつくりものめいた「大地=母=女性=自然」信仰への危惧感、みたいなものだったりして~
って考え過ぎかな、やっぱ。

そらまめさんコメントメール転載させてもらいました。ありがとうございます。
レスしばらくお待ちくださいませ~

1120夢メモ

2010年11月21日 21:05

記事が長くなってしまったので。
昨日の夢メモ。

なにか仕事の打ち合わせ?(でも会社のメンバーでもいつもの仕事でもない)をぬけだして、広大な寂漠とした緑の野原を歩いている。
周囲には大きな赤いれんが造りのつくりかけの修道院/聖堂のような建物がいくつもならんでいる。
どこか大学(ノート○ダムとか同○社)の別館らしい。
工事中にしてはものすごくしずかで、誰もいない。クレーンなどの重機もない。
むしろ廃墟みたいにひっそりとしている。レンガの赤と、草原の緑がうつくしい。
私の歩く小道を、こどもたちが元気にはしっていく。
ずっと歩いていくと水族館のようなところにでる。野原に巨大な水槽があるのか、頭の上を、ものすごく巨大な海のいきものが泳いでいく。
最後に淵のようなところにつくと、ジュゴンあるいはマナティのような生き物と、人魚がいる。
人魚の顔はすごくぼんやりしている。

やがて元の場所にもどると、私が抜け出ていたことをかばってあげると女の人たちが行ってくれる。
なにやらすごく取り締まり?が厳しいらしい。
今日あるいた京都の町並みに似た通りのシャッターが次々としまっていって「逃げ道」がないと思う。



なんじゃこりゃ。。
逃避願望なの??笑

夢の月。続・未来はどこにある?

2010年10月03日 21:54

一日しかない休みはほとんど寝込んで終わりました。嗚呼…。
そしてお願いだから日曜くらい工事はお休みしてください。
朝八時からとか早すぎですから、ほんと。
雨のおかげで一日中の工事音からは解放されました。

熱っぽいなかでみた明け方の夢がなかなかに不思議で鮮烈でした。

どこかごみごみした街を歩いている。
ようやく街はずれに鬱蒼とした森への入り口をみつける。どうやら探していた場所らしい。そこはただの森ではなく、どこか神域というか神社の森のような雰囲気もある。
門番をしているおばさんとすこし会話したのち、森にはいっていく。
勾配があり、どんどん上っていくと森はきれぎれになり、地面は白い砂地になっていく。
巨木のようなあじさいが薄い紫の花をつけて点在している。
右手に大きな檻があり、巨大なフクロウたちがじっとこちらをみかえしている。
さらにのぼっていくと古い校舎のような研究棟につく。私は誰か研究者の業績の足取りをおっていたらしい。
古い木の窓枠の外は深淵の闇がひろがり、そこから青白い緑色にちかい月が、銀にひかりながらゆっくりと回転していく。
そこで研究者である男が音もなく踊っている。
「ああ彼はあそこにたどりついたのだ」と私は思う。
彼はあすこに行きたかったのだ。
私はもっていたデジカメで月の姿を写真にあるいは動画におさめようとするがうまくいかない。
この研究棟は彼がつかっていた場所であるようだ。
教室のような場所に戻るとブロ友のそらまめさんが、彼の業績と足取りを解説してくれる。

場面はかわって、1階のオープンカフェのような場所にいる。母と朝食?をとっている。
自分が普段なにげなくおこなっている行動を変だと指摘されてものすごく落ち込む。

また場面はもとの街の別の場所になり、街はずれのプラットホームにいる。
何頭もの馬がひく列車が目の前をすぎていく。
街は緊迫した状態にあり、塔のような巨大な砲台が街を見下ろしている。軽卒にもこちらから砲撃をしかけてしまってひどく狼狽する。「835」「845」と呼ばれる部隊がでてくると言われてひどく後悔する。


うーん変な夢だ…
しかし窓の外の闇からあらわれる青く光る月の美しさ、神秘さは今でもありありと思い出せるくらいすばらしかったです。
しかし山から月面が見えるってナンダ??

なんというか最近お山にのぼってないから街→森の願望はあるらしい。
もともと田舎育ちだからそういう根っこがあるんですよね。

私の夢では意外なとりあわせというのが結構あります。
以前は水中に円形の映画館があったし(魚が泳いでる)。
あとでっかいターミナルから続く東京の百貨店みたいな場所の一階がなんと動物園になってたり。
百貨店の一階なんてキレイでぴかぴかするものの典型なのに。しかも動物園といっても、その裏側というか、どちらかというとサーカスの裏側みたいな雰囲気でした。
これは…人の目から隠されているものを暴きたいという願望なの??


今日は一日寝ながらお借りした「レディ・ジョーカー」の文庫版と、発掘されたローレン・アイズリーの『夜の国』を気分のままに読んだりしてました。
あるいみ両極端の二冊です。
レディ・ジョーカーはちょっと簡単にことばにできないので、『夜の国』から。

「未来は前方にあるのでも後方にあるのでもない。どちらか一方の側にあるというものではないのだ。
そしてまた未来は闇でも光でもない。未来は私たち自身のなかにある。自身からひきださせるものであり、悪い未来もよい未来も常にわたしたち自身にある。
ご神託にもとめようとする、戦争か平和か、飢餓か豊穣か、災害か幸福かはあちらからすすんでやってくるものではない。その萌芽は現在にある。そして、この恐ろしい直接性との対決をさけるために、宇宙への冒険に目をむけ、未来が人間の意思ではかわることのない定められたものであるという思想にもとづいた時間的投影に想像ににげこもうとする。」


「瞑想と懺悔という行為をこころから排除してしまったならば、われわれは死んだも同然。
未来も絶えてしまうだろう。(中略)未来は哀れみから生まれ、内向的な思考から生まれる」
「そして未来はかたちあるものの中には存在しない」

これはたんなる未来は自分次第という軽々しい思考ではないと思います。
現在を冷静にみすえ、現実を受け入れる、そんなことが求められているような…。

トップランナーの今監督のインタビューも思い出しました。
今読んでいる(遅々として進まないw)『金枝篇』にも通じるかなぁ、なんて。
「科学的、物質的」な枠組みや世間のもとめる常識でがんじがらめになって、こういう思考の自由さを許してくれないような気がします。。



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