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不調とことば

2011年02月14日 23:31

すこしご無沙汰しています。

三連休はそれなりに調子よくすごせたのですが(月のリズムの座談会、大変興味深くておもしろかったです。また後日でも改めて書きたいです)どうも1月末から不調をひきずっている感じです。

一つの仕事の繁忙期のピークがすぎて、また別の仕事が忙しくなり、残業も多くなっています。
前の内容は主に自分一人でスケジュール管理して進められたのですが、今の仕事は先輩と組んですすめているのでいろいろきをつかって(二人とも男性なんですけど、一人はわりとわがままタイプでもう一人は仕事が少し?アレで妙な自己主張が多くて気遣れするタイプ)なので、気づかれをしています。

一日中パソコンに向かって細かい作業をするので、目と肩に疲労集中。
肉体的疲労が精神的疲労におよび、以前あった前向きな気持ちや、アンテナが鈍ってきている気がします。
ささいなことで気分がめいったり、イライラしてまわりにも迷惑をかけてさらに落ち込むという悪循環です。

これはうつ前の私とおなんじじゃないかー!
基本性格の一つなんですね・汗
せっかくちょっと前進したと思ったのに。。


最近は呼吸と、自分が口にだす言葉を気をつけようと思っています。
深呼吸、深呼吸…。
悪い気をはいて、新しいエネルギーを取り入れるのが呼吸の重要性だとか。

「口に出す言葉が大事」と言われるように、ネガティブな口癖や、仕事以外の自然にやっている自分の口調にもっと意識的になろうとこころがけています。

「そば屋さんで今日は天ぷらうどんを食べるぞ、と思っていても、実際に「鍋焼きうどん」といったら鍋焼きがででてくる。思っていることよりも口に出していることの方が大事」
と日本のお金持ちの一人、斉藤一人さんとゆー人がいっていたそうでなるほどなぁと。
いくら百考えていても、一度に口にだせるほんのわずかの単語だけが相手に届くのだなぁと思うと。
しかもそれをはっきり、明確に、気持ちよく伝えるってこれはなかなかむつかしいなぁ、と。

そんなこんなで、以前から気になっていた『なぜあの人の話し方は「強くて美しい」のか?』という本をブックオフで購入しました。
「私たちの周囲にはたくさんの人がいて、それぞれ勝手なことを言っています。
スーパーでほしくない品物でもたくさん目に入ってくるように、毎日の生活では聴きたくないたくさんの言葉が耳にはいってくるのです。
それらすべてを気にしていたら大変です。聞きたいこと、聞いて役に立つことはこころにいれて、聞きたくないことは聞き流しておきましょう

という文章があってハッとしました。
私は、聞こえてくる言葉を、ほとんど自分の心にいれていました。
職場でも、こころが過敏になっているときなどはちょっとしたことで、「自分のことではないか」となったり、またいらだって過剰に反応していました。
(小さな会社なので、周りの会話に耳をすますことで、全体の雰囲気や流れがわかることもあるので有意義なときもあるのですが)

「相手の言葉を聞き流すことで、人間関係が円滑になることもある。それがコミュニケーションの面白いところ」
なるほど~。

どうもバカ正直というか、なんでも水を飲むみたいに、こころのなかにいれてしまうようです。
ことばをこころにいれて、勝手に傷ついたり、批判したりしてる。
それじゃあ、疲れるわけですよね。

表でみせている顔=言葉と、なかで思っているこころが、一致しないみたいなのがどうもなんというか、好きじゃないんです。
こどもみたいで恥ずかしいですけど・笑
特に信頼する人とは腹蔵なく話したい、いつでも「素」の間柄でいたい、という理想が根底にあるようです。
でもそれだけじゃだめなんだな~。
なんか誠実じゃない気がするけど、でもなんでもこころにいれてイライラされるくらいなら、むこうだって聞き流されて人間関係スムーズに行く方が結果論的にはいいですよね。

そういえば職場のすてきな先輩も、結構話し聞いてないときあるし・爆
聞き流す技術、じゃないけど、聞こえてくる音/言葉をこころを選択する工夫みたいなのがいるんだなぁ。

同じ本から、「うまく聞き流すコツ」として、
「それは聞きたくない言葉について、自分の意見を主張したり、反論するのをさけることです。「私は」で答えないことです」


誠実かつ、まわりも自分も不快にしないような人間関係をめざしたい。

ところで、仕事できないクンが、やたらほめてほめて!「みせてあげる」とか、過去の仕事の自慢話攻撃(本人攻撃の自覚ナシ)をしてくるのですが、それにどうしても「すごいね~」って言えないんです。
それだけいってあげればいいのだろうけど(あ、上から目線!)嘘はつけない。。
しかしあれだけ周りの人にスルーされてるのだからいい加減気づいてほしいのだが。


この不調が、まさか1月23日に減薬したのが、原因じゃない、と思いたい!
どこかで減薬するのだし、ここを乗り越えたい。


ゼイタクな話なだけれども、仕事内容がマンネリな気もあってさらに落ち込み気味かもしれません(基本作業部分は多い)。
でももとから、工場バイトの次のリハビリステップというスタンスから探したから、当初はそのマンネリ感がリハビリにぴったりだったんです。
私に意欲がでてきたのかな。


七十二候は、黄鶯睍(うぐいすなく)を過ぎて、魚上氷(うおこおりをいずる)にはいりました。
こないだ糺の森でうぐいす?あるいはメジロを見ました。
雪がまたふって寒いですが、確実に春は近づいている気がします。
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一周年

2010年11月09日 22:52

昨日は風邪で休んでしまって、次の日会社に行きにくい感じだったけどシレッと行ってきました。
ちょっと一段落したと思ったらまたわっと忙しくなりそう・・・
思えば今日は今の会社につとめだして一年になります。

とりあえず一ヶ月、その次は三ヶ月、次は半年、そして次は一年、がんばろうと言い聞かせてやってきました。
最初は全然乗り気じゃない仕事内容で、時給もめちゃ安くてしかも当日体調がわるくてそんな感じでのぞんだ面接だったから、人生とは不思議なものです。
足下をちょっとずつ固めるように、定期も一ヶ月ずつ買って。
一ヶ月後どうしてるかなと思うと怖かったのです。
「出会い」とは意外なものにひそんでいるのかもしれません。

このブログで好きなこと書いて、いろんなコメントいただいて、拍手いただいて、それがとてもとても励みになりました。改めてお礼申し上げます。

いろんな不満や、悩みなんかがとくに体の調子が悪いとぐるぐると渦を巻いて、あの人やこの人のここやあすこがうらやましいとか、かと思えばちょっと自分に自信もってみたり、次には落ちたり。
相変わらず落ち着きないですが、それでも昔よりもずっと(うつになる前よりも)なんだか全体的には落ち着いた気がします。
自分が抱いた不満に対して、じゃあ具体的にどうなら自分は幸せなのか?と自分に尋ねてみてみます。
どんな仕事ならいいのか、どんなことがしたいのか、どうありたいのか。
中小企業でもどちらかといえば小の方の会社ですが、日々の仕事は全体的に地味ですがこつこつできる(でも数は要求される)それなりに自分に合った仕事をしていると思います。
あ、会社ではやや浮いていて個人的な話はあんまりせず(家族事情や病気事情は一切ふせています)ますが、思えばわりと個人的な空間以外はずっとそうだったので。。
謙虚さが要求されるならばそれに合わせ、服を着るように仮面をつけて、でもその仮面が自分にとってくるしくないように自然に生きていく。
昔から浮いてましたが、これが社会に適応していくということなのかな、と。。少しは身の処し方がうまくなったのでしょうか。。
望みすぎず、身の丈を知り、ですぎず、ほどほどに。
そんな風に「ぼちぼち」いけるといいなと思います。

しかしほぼ毎日が仕事・読書/休みは寝るor部屋の片付けor読書しかないような感じでひきこもっているので、もうすこし現実的な自分の視野というか世界をひろげてみたいと思う今日このごろです。
最近ha体とココロの疲れをとるだけで仕事以外の時間がおわってしまうような。。



今日は一段と冷え込みが厳しく、風邪もなおる兆しがあまり見えません。
みなさまも風邪などどうぞお気をつけて。


明日は師匠のCD発売日なのですーーー!!

最近はまっている P-MODEL「回収船 Recovery Ship」


世界の奥から風が吹いてくるような爽快感と斬新な郷愁。

♪帰ろう 丘の模写の上に集い
果たそう キミの根源を映し出し
見晴らす程のニューロンの街かどで
出会おう 捨てられたもの全てに


捨てられたものすべに出会うって『パプリカ』のパレードっぽいななんて思ってたら
はたしてそうだった(この歌詞をモチーフにパレードのシーンは作られた)という話(宣伝担当の方の当時のブログ)を読んで納得。。

休んでしまった…

2010年11月08日 15:08

ついに会社をお休みしてしまいました。
いつもの時間に起きて、ご飯食べてお弁当用意して…とそこで体がストップしてしまいました。
昨日16時まで寝ててそれでもしんどくて早めに寝たけどまだ復調いたらず。
体が休みをもとめているようです。
先々週くらいはまでは自分の抱えている納期と、部署全体の納期と、突発的な急ぎの仕事…がかさなってとてもやすめる状態ではありませんでしたが、やっとそれが一段落したので休んでも大丈夫だという判断もあります。

眠りたくても眠れず工事の音+小学校のこどもの声はまだいいとしても、なぜかさっきから読経らしきものまで?!
本をよもうにも集中できないし、パソコンたちあげてボーッとしてます。
とにかく横になろうと思います。
咳はおさまってきたような気がするので明日はもう少し元気になってますように。

小さな感情。

2010年10月16日 22:56

今日は診察日でしたがお薬のみにしてもらって昼過ぎには病院をでて、そのまま会社にいって仕事してきました。
小さい部署なので先日同僚が一週間忌引きされていてその分の仕事をしていて自分の仕事が後回しになってました。でもそういう事情は仕方ないですよね。
あまりマイナスにとらえないように。今日は誰もいなくて仕事がはかどりました。誰もこないのをいいことにちょっとだけイヤホンで音楽聞きながらやったらはかどるはかどる…(これ、秘密です)

その前の晩、めずらしく一人で残ってやってたのですが、ミス修正とかマイナスの仕事は気持ちまでマイナスになりますね…。
やる気でないし、はかどらないし…。
こないだ入ったばかりのミスを時間がないからと私が修正してたんですが、それはやっぱり時間がかかってもその人にやってもらうのがお互いのためだったのかもしれない。
「日本人は概ね過剰に空気を読みすぎる病にかかっている」とかなんとかどっかでみたんだけど、わかるなぁソレ。。
空気よみすぎて空回りするというか、疲労するというか(空気だけに?)。
ひさしぶりに図書館でビジネス書というかコミュニケーション関連の本を借りたのですが、その中の本に「思考が感情をうみ、その感情で疲労してしまう」とあり、これまたああわかるな~と。
不安が不安をうみ、自己増殖してしまうのですよね。「また何時までかかる」とか「きっとまた遅くなる」とか、そんなマイナスの思考がマイナス感情を増殖してる。
そこにははっきり断れない、言えない自分自身への失望感やいらだちもあり、そんなガッカリな自分像を認めたくないから、あるいは認めるつらさから「これは○○が悪い」と他人への転嫁になったりしてると思います。

特に「感情を丁寧に扱う」という項はとくに興味深かったです(以下、要約引用)。

「「なぜか焦ったり、イライラしたり、不安になったり、腹がたつ。けれども、その原因がわからない」
といった経験があるとしたら、それはあなたが「小さな感情」を大切にしていないからである。
たとえば同僚に仕事を頼まれた。一見簡単なことなので関係を悪くしたいない思いもあってあなたは引き受けた。
そうしていつもいつも頼まれるたびにイライラする。小さな用事なのになぜかイライラする。なぜか?

いらだちの原因は、同僚の本来の目的が、「用事を手助けしてもらうこと」ではなく、「いろいろな注文をつけて相手を自分の思い通りに動かすこと」にあるからだ。
あなたはそれに無意識に気づいているので腹が立ったりイライラする。
(たぶんそれを断れない自分自身にもイライラしている)
断るのをおそれているとますますイライラはつのってしまう。自分を守るために小さな感情を優先した方がいい。
言葉を濁すよりも、はっきり断ることでやがて爆発して大きなトラブルになることをふせぐことができる。

そして、こうした小さなマイナス感情を抑えたり無視していると、小さなプラス感情にも気づかなくなっていってしまう。
部下が企画をもってきてそれがボツになったとき、聞かれるまで何も言わないか、あるいは「悪いけど没になってしまったけどご苦労さん、よくやってくれたね」と一言言えるか。相手を慮ってプラス感情を言葉にできれば互いにとってプラスの関係が築ける」

「欠点を長所に変える話し方ーコミュニケーション能力を高める「自分中心心理学」」/石原加受子著より

まずは自分の「小さな感情」を解消していくことで、相手ともいい関係が築けるわけですね。
ひとことって大事…。

ところで歯医者が受付の人がかわったのか、また前の先生にもどってしまいました。
その先生を前にして、「あなたは嫌です」とは言えなかったチキンな私。
どんな言い方をすればいいんだ…?
1、受付の人に電話で伝える
2、(正直最近居心地がわるい&あまりに治りが遅いので)セカンドオピニオンを求めて病院を変える
で迷ってます。
2にしたいけど、時間的な余裕がないのが悩み。

会社を休んでしまいました。

2010年07月14日 22:28

前回の記事で、一度も休んでいない、とうれしく書けたにもかかわらず、
あるいは予兆があったからこそそれを阻む為にそう書いたのか…
今日はじめて会社を休んでしまいました…。

月曜に月が欠けきって新月になるとともに月の訪問者がやってきて、天気は晴れののちに大荒れになってずっと調子が悪かったです。
どれだけしんどくても「生理痛で休む」のは抵抗があります。
なぜなら、おなじ女性でも痛みの程度には大きく差があり、また、男性相手には言うのがはばからせるからです。そして、さらに自分自身でも「病気ではないのに休むなんて」という思いがあり、薬をのんでも立っているのも座っているのがつらい状態でも意地で仕事をしていました。
しかしパフォーマンスも効率も悪くて、さらにささいな出来事が気になり、自己嫌悪がますという悪い結果に。
こうなると、一体何に、誰に対して意地をはっているのかわからない感じです。

しかし本日は、あぶないなというぐらぐらの気持ちのまま、なんとか会社まで言ったものの、朝礼が終わって朝の打ち合わせをしているときに突然(何を言われたわけでもないのに)泣き出しそうになりました。
これは危ない兆候です。
仕事中に泣いたりしたら今度の社会生活に重大な支障がでる。頭の片隅でそんな冷静な判断もしながらも、すぐに帰ることができず、なんとかきりをつけて早退してきました。
そんなときは異常に感覚が鋭敏になり、被害妄想やまわりにどう思われるかが気になるもので、それでもこれは身体と心のサインだと思って帰ってきました。

タオの本に「身体からの声を大切にしよう」ということが書いてあったことを思い出ししながら。
先週までなんとかうまくやっていたのに、まるで津波にさらわれたように、深いまっくらな谷底や井戸に落ちるように、「おちて」しまいました。

さきほどの休むのに抵抗があるという話で、うつも似たようなところがあるな、と思います。
うつ病のときに友人に会ったりして、たとえば「うつ病ってどんな感じ?」などとと聞かれた時、「気分が落ち込んで…」などと言うと、「わかる~、私もすごく落ち込んで、云々(以下最近つらかった話)」
などと言われると非常につらいものがあります。
そのように一般化されてしまうと、そんなもので私は職を辞め、日常生活すらままならず、こんなずたずたの状態になったのか?と思ってしまうからです。
たとえ相手にその気がなくても。
「わかってほしい」けど、「簡単にわかってほしくない」とは相反する感情で、かつわがままなのかもしれません。
しかし、自己の抹消や否定にいってしまう、うつ病の本当のつらさや恐ろしさは、言葉ではあらわしにくく、しかも症状は上記の状況のように、誰しもが経験することのさらなる延長上にあるようなので厄介です。
うつ病がドラマで紹介されたりして認知度が高まったとしても、会社でネタ的に話されるのを聞いている限り、病気の名前のうわべだけが認知されているような気がします。というか、他の病気とくらべて「病気」としてはあつかれていないと思います。
えてして精神的な病気とはそうしたものなのかもしれませんが…。理解されないというよりも、理解したくないという心理があるのかもしれませんね。
いっそのこと、不定性自律神経失調症候群とかだったら難病っぽいし病気っぽいとか言ったらイカンかな…。


『真昼の悪魔』は下巻にやってきました。
上巻のその中のとある女性からの手紙に。

「私はとてもおびえています。それに屈辱感でいっぱい。
他の人と分かち合える最高のニュースが痙攣をおこしていないことだなんて、あまりにもみじめだわ」

まさしくそのとおりだと思いました。
周りの友人たちが、海外旅行だ、結婚に出産だといっている中で、私にとって最大のニュースは、「普通に起きてご飯食べれるような生活ができること」だったのです。
あんまりにもみじめでした。
うつ病というのは、それだけでひどく屈辱的な病気だと思います。
症状や原因がうまく説明できないから理解されず、だからこそ自分でも納得できず、肉体上は健康なのに精神はずたずたになって「普通の人が普通にできることができなくなる」なんて屈辱以外のなんでしょうか。
おまけに心は以前のいい状態をしっかり憶えているのだから。
うつであるということが、自分をさらに不安にし、さらに屈辱をおぼえさせます。

うつのときには、もしも今と違う状況だったらと考えます。
もしあのときああしなかったら?あの会社にはいらなかったら?
もしもっと容姿が美しければ?もっと若ければ?もっと才能があれば?
そうすれば、こんなことにはならなかったのでは?
もちろん、こんなことを考えても何の助けにもなりはしない。考える前よりももっとみじめな気持ちになることの方が多い。それなのに考えて考えて自分の精神がぎりぎりになるところまでいく。
そして、それなのに肉体の方はぴんぴんしているから、不釣り合いな気がする。

「当時の私は思った。とるべき道はただひとつ。病気になることだけだ。それが私の免罪符になってくれるだろう。もっとわかりやすい病気になりたいという願望は、あとから知ったのだがうつ病患者にはよくあるものだった。
精神と肉体の状態を一致させるために、それらはしばしば自傷行為という形態に結びつく」『真昼の悪魔』
というのを読んで、なるほどと思ったものです。実行にはうつさないものの、みじめな自己という現実にたえきれなくなると、自己を抹消したいという感情がでてきます。



話が前後しますが、今日は帰ってきてからずっと眠っていました。
めずらしく睡眠薬も安定剤も飲まずに。ほとんど夢をみていたので、浅い眠りだったようです。
あまり憶えていませんが、あの世界にずっと住みたいと思うような夢でした。

会社のメンバーはほとんど同じなのですが、広くて近代化されたビルで働いています。何をやっているかわからない変わったひとも多くて、そこで私は「受け入れられている感じ」を受けます。
何かの小冊子?作品に関わるプロジェクトで、それは本だけでなく音楽も含まれており、平沢進の「トビラ島」(今還弦で一部のファンがもめて?いる)のまったく新しい曲を聞きました。
場面はかわり、ある場所にもう一度行こうとして雨で増水して濁った川にかかった橋をわたっているのですが、あと少しというところで工事中でわたれない。川を歩いている人もいるけど、それはできないな、と思う。
工事の人に聞くと、向こうにネットカフェがあるからそこからヴァーチャルで行けるよ、と教えてもらえるけど、私はリアルで行きたいからと思ってやめる。
最後はどこかのCDショップにたまたま入ってみんな誰かの新作を買っている。でもどのCDをみてもまったく聞いたことがない人ばかり。最近の人だから知らないのではなく、そういう人ばかり集めている感じ。みんな個性的で新しい主義を作っているけど、懐古的でどこか退廃的な感じがして、どれも好ましく思える。CDショップの内装や配置まで憶えるけど、どこかにある場所なのかな…。


夢に癒されたような気分でした。

前述の女性の手紙から再度。
「本部へ帰還しているところです。
いくつもあるけれど、元気でいきいきとした<私>という名の本部へ。」

あがっては落ち、でもおちてもあがる。約束されたように。
明日は、会社に行けますように。


コメントどうもありがとうございます。うれしいです。
お返事は、もう少し落ち着いてからさせてくださいませm_ _m




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