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「おつかれさまでした。」

2008年12月31日 12:27

謎の年末連続更新。
帰省するところもないし、テレビは普段からまったく観ない人(今年10回みたかどうか怪しい^^;)なもんで、年末らしさもあんまり感じないのですね。

思えばもう一年かぁ、と。
今年はほぼ家にいたこともあって、ゆっくりだったような早かったような変な気がします。
がんばった生きたな、と。
そんな時、うつがひどい時に読んで気が楽になった本のことを思い出しました。
「ほめ上手」には福きたる―ほめれば生きる自分も人も (PHP文庫)「ほめ上手」には福きたる―ほめれば生きる自分も人も (PHP文庫)
(2000/05)
坂崎 重盛

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「自分のために人をもっとほめよう」とか「ほめ方・しかり方」みたいな本…とはちょっと違います。
この本で深く感じ入ったことは、「子どもの頃は大人の興味を集め、ちょっとしたこと、それこそ立っただけでほめてくれた。けれども大人になったらよほどのことをしないとほめてなどもらえない」
確かにそうですよね。ふつうに(今それすら遠いけど)がんばっていきているだけでは誰もほめてくれない。
だからせめて時々自分くらいは自分をほめてあげたっていいのではないか、と。

とはいえ、自分をほめるのは難しい。真面目な性格の人とか上昇志向の人は、「まだこんなんじゃだめだ」「もっと上へ」ととかく厳しくなりがちでしょう。「なにを甘ったれたことをいってるんだ」とかね…つい思っちゃいます。
あと謙譲の美徳というのもあって「自分をほめる」って照れくさい。恥ずかしい。
私には悩み癖というか、苦悩癖というか「こうだったらどうしよう」「きっとこうだ」「だからだめなんだ」とか悩むことが癖みたいになっています。あらゆることを想定・予防しているのですね。それは自分が傷つかないためのバリアーでもあると思います。
この本ではそれは自分にこだわりすぎていることでもあると言われ、ああそうかもと。
自分自身に拘泥している、囚われているのですね。私は。

もう一回自分をほめてあげてみて、と言われ、
うつになったことのある人に、うつ病になる人は、いつか何かのかたちでなるものだと思う、と言われて。

ああ、私はうつになるくらい、本当にしんどかったのだなと思いました。


私はうつ病になった自分自身が許せなかったのです。

折角がんばって、自分のやりたい職業の、やりたい会社へ転職した後の、たった三ヶ月での発症、離職。
私は自分が許せなかった。
肝心な時に病気になった自分が。

でも、そう思った時、本当にしんどかったのだ、そうまで、心を病んでしまうまで、私のからだもココロもぎりぎりまでがんばってくれたのだ、と初めて自分を許す事ができました。

一年間、よく生きてきたね。

がんばったね。
おつかれさま。
また、来年もよろしくね。


でもやっぱちょっとはずかしい(*´∀`*)
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お薬とちょっとだけ仲良くなる。

2008年12月31日 00:47

ちょっとだけ薬に対して気分がかるくなったことなどを書いてみたいと思います。

私だけなのかどうかわかりませんが、うつが回復期くらいになったとき、薬を飲むのがしんどいというか、「ちょっとやだな」と思っていたことがありました。
その頃トレドミンを増薬して、それが効いたようで、だいぶよくなりはじめた頃です。
なんというか、「うつの薬のまなきゃ」と思ってお医者さんでもらった薬袋から出して、ケースからぷちんぷちんと取り出して…というのがどうにもしんどいのです。
せっかくよくなってきたのに、薬を飲むたびごとに、「ああ私ってうつ病なんだな」という事実をつきつけられるようで…。
これまでありがたいことに病気を継続的にしたことがなく、たくさんの量の薬を飲み続けることになれていなかったのですね。
そんなこんなでどうにも気が重い。
飲んで治るのなら飲む。
けれども、もうちょっとだけ気分的に楽に飲めないかなとおもったのです。

そこでとりあえず見た目から変えてみました。
薬をお気に入りのびんに入れてみました。
bin1.jpg
こんな感じです(チェブラーシカは関係ありません)
台所に置いて、洗い物するついでに飲みます。
見た目がずいぶんかわいくなり、だして置いても薬に見えません。まさか来客もうつの薬とは思うまい…。
bin.jpg
同じ時に飲む薬を同じびんにしてます。
左のびんにトレドミンとガスモチン、右のジャムの小びんにレンドルミンです。ぷちぷちいれるのがめんどうくさいけど、薬に対して苦手意識というか気重な感じがなくなり、楽になりました。
私が単純なだけかも…
でも見た目だって大事ですよね。

薬の袋って個人的に「病気・病院」ってイメージが強かったのかな、と思います。
あと飲む水を、先生に水でないとだめかと聞いてみて、ポッカレモン100でレモン水にしたり、はちみついれたりとかしてます…。やりすぎかな?
でもお薬によっては相性があるかもしてませんね。

考え方が変わって楽になった本。

2008年12月21日 20:20

うつの本を今まで数冊よみました。
最初期(いちばんひどい時)には、客観的に自分の状態を知り、かつ他にも自分と同じ症状・病気の方がいる、そして治療をすれば治るをいうことをしるために役にたちました。
それ以降、だいぶ楽になってきた回復期とかは、認知療法の本も読んだけれども、正直うーん確かにそうだけどさ…、でもやってみたけどどうにも続かない…という感じでした。

むしろ、うつ以外の本で「そっかそうすればいいんだ」とか、「そう考えたらいいのか」と個人的に役に立つというか、楽になったことがあったのでそんな本のことを。

「考えすぎる女たち」というタイトルを図書館で見た時、それは私のことですね!と気がついたときには手に取っていました。
考えすぎる女たち (ブルームブックス)考えすぎる女たち (ブルームブックス)
(2004/11)
スーザン ノーレン=ホークセマ

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これは何か心配ごとなどがあったときに、特に女性は悪い事ばかり考えてしまって、前向きに考えられず、その思考に絡めとられるばかりで気分が落ち込むばかりで…先にすすめない!という症状について事例にもとづいて解説し、そのスパイラルから抜け出し、具体的に対処するにはどうしたらいいかをイラストをまじえながら書いてあり、個人的に非常にためになりました。
私も本当によく、「○○だったらどうしよう」「きっと○○だ」とよく悪い事ばかり考えてしまいます。しかもうつの時って、「だから私が悪いんだ」とか「どうせ自分なんて…」「生きていても…」とか自己の存在・人格否定にいってしまうので大変危険です。
考えてもどうしようのないことは考えてもしょうがないんですけどね。この本を読んで問題を書き出してみる、仕方のないことは考えない、意識的に悪い事を考えそうな時にはわざと何かで気持ちをそらす、時間をおいて考えるなど、例にそってあげられていて、気がついたらちょこっとずつ実践しています。
昔より考えすぎて落ち込むことが減った気がします。
アメリカの方が書いた本なので、登場人物がメアリーとかヘレンとか、日常生活ではなじみのない名前が例にあがっていますが例は結構リアルです。
ただ「そこまでするか?」ということもあり、そこは若干アメリカンです。


自分が不幸な時(不幸だと思っている時)って、街を歩く人すべてが幸福にみえたりします。
自分が手にはいらないもの(有形・無形含め)を、何故私だけ手に入らないのか、何故私だけこんな目にあわねばならないのか、と感じることもあります。
そんな感覚を、この本では「権利意識」という概念で説明していて、なるほどと思いました。

「私たちはまた、はなはだしい権利意識をもつことがあります。大金を稼げるはずだ、夢のような職業につけるはずだ、夫または恋人と常に満足できる関係を築けるはずだ、私の意見は尊重されるはずだ、(中略)いつも楽しい気分でいられるはずだ――ところがそういう期待は当然のごとく裏切られます。
でも私たちは「それが人生というものさ」とあっさりあきらめることができずに、どうして自分は手に入れられるはずのものを手に入れられないのかと考えすぎをはじめてしまうのです。欲しいものを与えてくれない世の中を恨むこともあれば、目標を達成できない自分自身を責めることもあります。このような考えすぎから生み出されるのは怒り、不安、哀しみ、否定、そして自分や他人を傷つけるような突発的行動です」

まあうつ病とか病気になって、「あっさり」とはあきらめる人はそうそういませんけどね…。
でも他人のもっているものを、自分はどうして手に入れられないのか、あんな「普通の幸せ」が自分にはどうしてないのかという時、「普通の幸せ」なんて実はないんじゃないかと思えてきたり…。しかしうつっている時はむつかしい。
さらに、これはもっと視野を広げてみると、今の日本の社会全体、その歪んだ圧縮像ともいえる通り魔事件などにもあてはまるのではないかと思えてきます。自分の現況に不平不満のある人が外側に向けた怒りとして「他人(や社会)に対して突発的行動」にでたのがあれではないかと思えるのです。社会に復讐する気持ちは理解できませんけど。私なら間違いなく自死を選ぶな。
でも哀しみとか自己否定とかは理解できるんだよね…。

ちなみにこの本ではこう続きます。
「権利意識を持ちすぎると得られるはずのものが得られないということばかりが気にかかり、問題をもっと効率的に解決するにはどのようなステップを踏んだらいいかを考えられなくなってしまうことです」

とはいえ。なかなかうつまっただ中でそんなことは考えられませんよね…。
でも、少なくとも「なんでこれが手に入らないのか」とやたら目標を高くもつことをやめて、そして「手に入らないのは私に問題があるからだ」と自分を傷つけ否定する考えに陥る前にストップすること。
…そんなことも最近ちょっと意識するようになりました。
だいぶ楽になったかな。
そら人間やし、うらやましいこともある。仙人みたいにはなられへんけどな。

今の世の中情報があふれすぎて、これがあれば幸せ、こうなったら幸せっていう「イメージ」だけが氾濫して、これっていうモデルがないのも問題だと思います。今まで大事にされてきたこと・古くさい価値観はみんなダサくてアカンって感じやしね。
若さの過剰尊重、お年寄りを大事にしなくなった(国からして大事にしてないし)のもその一環かも。

自分が幸せやと思えたら、そこでええかな、と思う今日このごろです。
上を見上げて、果てのないええ暮らしを夢見るより、そこに何もない空をみていたい。


あんな高く聳えた 塔には何もなく ――「広場で」



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